Aさんのgg。今月中頃にいよいよ集大成である講習会が開かれ、そこへ向け邁進されておられるAさん。今日はボケを生けられそれをデッサンしました。ボケの茎の色と、今日持ってこられた朱色の配色がとても優しくて癒されます。ひと枝を見ていても、林を見ていても、森を見ていても、そして山を見ていても、いつも思うのですが、「その枝の色はその花の色と調和しているなあ…」と。同じ色相分子から成り立っているから至極当然なことなのかもしれませんが、枝の色は花の色を支え、花はより美しく見栄えていて、どの種を見ても自然と調和されていることに感心します。今日のこのひと枝も、この色相の朱だからこそ、この佇まいが生まれ、印象を整えているんだなあ…。もうずいぶん前になりますが、確か私が24、5歳の頃、市街を歩いていると時雨が降ってきました。すると街路樹の幹が見る間に湿った濃い色になり、道路も、屋根も、ビルの外壁も、一段階色のトーンが沈んだのです。トーンが落ちたというか。すると今まで見えていた色彩がサーっと少しだけモノトーンに近づき、雨の匂いや、濡れるような湿度も手伝って、世界が一変したのでした。私の目にはこんな風に、毎秒ごと、色の変化が起こっているんだなあと世界の不思議を自覚した時だったかもしれません。今も時々、降ってくる雪を見上げて、まるで一面灰色になった空から大きな軽いものが舞い落ちてくる景色を不思議だなあと眺めることがあります。距離感のない一色の空を見上げていると、落ちてくる雪が、落ちているのか、私が進んでいるのか、一瞬戸惑ってしまうような錯覚を起こすのが楽しくて。錯覚は、想像を広げていくエネルギー源となっていくのかもしれませんね。